「真実の瞬間」に敏感でいたいから

「真実の瞬間」に敏感でいたいから

本音で生きる意味って?
それは「真実の瞬間」に敏感でいたいから

「いちいち自分の本音を伝えると面倒くさい」と言われま
それは私だってそう思いますよ

でも日々相手に合わせてなんとなく生きていると
心が鈍くなってしまう(当社比)

心の感度が失われること
相手の心が動いた瞬間を見逃すことの方が損失

先日の飲み会でもありました
初対面で所在なさそうにしていたオジ様が
自分の本業の話になると目つきが変わるの

ニコリともしない声極小のエンジニア男性が
趣味の投資のアルゴリズムの話になると
とたんに言葉に力が入るの

どんな人であったとしても
その人が道の中心を歩いているジャンルがある

それを見たいし、そういう
「いちばん良い状態のその人」と会話をしたい

それを見つけるためには、勇気が必要

クソ社交辞令じゃなくて
自分から本当に心が動いたことを伝える必要がある

琴線に触れた瞬間に
それを伝える”じぶんの言葉”が必要

それが態度や表情で表現“されてしまう”
ニュートラルな自分でいたい

何度か会って「この人は安心」っていう
シチュエーションが整わなくても

「ここは安心安全の場ですから批判はなしで」
とか、ファシリテーターがお膳立てしなくても

初対面でも素面でも無意識レベルで

相手の何かが琴線に触れたら
それを自分の言葉で伝えられる自分でいたい

拒絶が怖いとか
いい反応がなかったら凹むとか

そんなことよりも!!

「心が動く人に出会えた」
「お相手が自分の中心を見せてくれた」

ということで既に見返りは回収済みなんです

私の本音の言葉が相手に伝わって
その道を行くひとの自信になったらラッキーだし

万一、友人になったり仕事仲間になったら
本当に、お天道様ありがとうございます!!っていう話である

だから私が、仲が良かろうと悪かろうと

義理で「あ、それはいいですねー」とか
絶対言わないのはそのためです

近い人は特に
「これは中里に響かなかったんだな…」ということって多々あったとおもう

でも、これを気を使って
「わー!これ欲しかったのありがとう!」っていったら

的外れなプレゼントや、
心の動かない応対で日常が埋め尽くされてしまう
嫌過ぎる…

最近仕事で、即決に近い形でご依頼いただくことが多いのですが
最近の営業力とかの源泉ってここにあるんじゃないかと思うのですよ

一線をゆくプロは
「本当に心動いているか」
「本当にそう思ってるか」っていうのを一瞬で見抜く

そして私も相手が
社交辞令で「あーいいですね」って言ってるのか
私の提案にワクワクしてくれてるのかどうかは判る

お互いに自分達のアイデアに
瞳孔開いちゃうくらいワクワクしたら
もう一緒に仕事するっていう選択肢しか残ってないんです

そういう訳で、わたしは
つまんねー時はつまんない顔しますし
心が動いたときは
頭の先からつま先まで使ってそれを表現する

電車で隣に座ったひとだろうと
コンビニ店員だろうとも

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